【第107回ツール・ド・フランス 個人総合最終成績(マイヨ・ジョーヌ)】
1. TADEJ POGACAR (UAE TEAM EMIRATES / SLO) 87h 20’ 05’’
2. RIMOŽ ROGLIC (TEAM JUMBO – VISMA / SLO) + 59’’
3. RICHIE PORTE (TREK – SEGAFREDO / AUS) + 03’ 30’’
4. MIKEL LANDA (BAHRAIN – MCLAREN / ESP) + 05’ 58’’
5. ENRIC MAS (MOVISTAR TEAM / ESP) + 06’ 07’’
6. MIGUEL ANGEL LOPEZ (ASTANA PRO TEAM / COL) + 06’ 47’’
7. TOM DUMOULIN (TEAM JUMBO – VISMA / NED) + 07’ 48’’
8. RIGOBERTO URAN (EF PRO CYCLING / COL) + 08’ 02’’
9. ADAM YATES (MITCHELTON – SCOTT / GBR) + 09’ 25’’
10. DAMIANO CARUSO (BAHRAIN – MCLAREN / ITA) + 14’ 03’’
[各賞]
■ポイント賞(マイヨ・ベール):SAM BENNETT (DECEUNINCK – QUICK – STEP / IRL)
■山岳賞(マイヨ・アポワ):TADEJ POGACAR (UAE TEAM EMIRATES / SLO)
■新人賞(マイヨ・ブラン):TADEJ POGACAR (UAE TEAM EMIRATES / SLO)
■チーム成績:MOVISTAR TEAM (ESP)
■スーパー敢闘賞:MARC HIRSCHI (TEAM SUNWEB / SUI)
※レースの応援風景※
この日の朝にはグルパマFDJのメンバーがピノが飼うヤギたちに面会しに行くというほのぼのしたニュースも。近年のツールで不運と失敗の続くピノ。このツールでは引退やエース降板を匂わせるような発言もあったが、故郷の人たちは変わらない暖かさでティボーを見守っていた。メリゼー村が生んだスターが通過するとき、村じゅうの人たちによるピノコールがこだました。
リュールをスタートしラ・プランシュ・デ・ベルフィーユを登るTTコースは、序盤・中盤・終盤の3パートに分けられる。第1計測地点までの序盤はほぼ真っ平で、続く第2計測地点までの中盤は高低差270mほどの登りと下り。そして終盤は完全に登りとなる。約6kmを切ってからは厳しい登りで、最終400mは空に向かって登るような激坂。
各チームはTTバイクに加えて通常のロードステージ用バイクもパドックに並べた。見渡す限り「それぞれのスペアも必要、選手が望むならすべてのバイクを投入する」そんな物量だった。
もはや総合成績を狙わない選手もタイムアウトとの闘いがある。ほとんどの選手がTTバイクで出走し、プランシュの麓でバイク交換をする作戦に出た。トレック・セガフレードのマッズ・ピーダスン(デンマーク)はTTバイクのスピードコンセプトと軽量ヒルクライム系バイクのエモンダという両極端な2台を用意。概ねの選手がその傾向の選択で、例外はエアロ系ロードバイクにエアロホイールを履かせた選手。
そして例外的にTTバイクで最後まで登ってしまう選手も。コースが脚質に完璧にフィットする優勝候補トム・デュムラン(ユンボ・ヴィスマ)は、前日に「途中でバイクを交換するかどうかは決めているけど、言わないよ」とコメント。そして「前回TTを走ってからもう長い時間が経っている。だからどういう走りができるか本当にわからない。ただ全力を尽くすのみだ。今はかなり疲れているけど、皆も疲れている。急勾配に対峙して、挑むのみ」と話した。
この日定められたバイク交換に関するルールでは、交換するバイクはチームカーから受けとること(つまり地上の待機スタッフからではなく)、スタッフによる交換後の背中のプッシュは5秒以内であること。
バイク交換のタイムロスはデメリットだが、乗り換えてからは軽く登れる。UAEチームエミレーツのアラン・パイパー監督は前日に「もし一切のミスが無く、選手とソワニエ(=スタッフ。メカニシャンが務めることが多い)の連携が完璧なら、バイク交換は7秒でできる」とコメント。しかしそれは最速の場合。
そしてパイパー氏によれば、ポガチャルとUAEチームはこの地には試走に2回来ており、何度も繰り返してコースを走り、バイク交換の練習を積んできた。そしてコルナゴのバイク2台とギア比、つまり全てのセッティングも完璧に調達・調整を済ませていたという。さらに「麓の勾配が最もきつい部分で、もっともスピードが落ちるときに交換すればタイムロスは最小限にできる」と話していた。そして実際、ポガチャルはこの日に超クロスレシオのスプロケットを使った。
そのパイパー氏もこの日の結末は予測だにしていなかった。ほとんどすべての批評家による分析がそうであったように。
「ステージ優勝の可能性はある。そして山岳賞もカラパスから2ポイント足りないだけ。うまくいけばエキサイティングなTTになる。しかしログリッチはトップライダーで調子も最高潮にある。ここまで一瞬も弱みを見せなかったから、彼がクラック(崩れる)することは期待していない。いい闘いをするのみだ」(パイパー氏:前日談)。
ちなみにパイパー氏は2011年のツールで最終日前の個人タイムトライアルでアンディ・シュレックとの57秒差を逆転させて総合優勝したカデル・エヴァンス(オーストラリア)とBMCレーシングチームを指揮した人物。当時の「57秒差」が今年とぴったり同じなのは、単なる偶然なのか?
朝のレキップ紙も個人タイムトライアルでのログリッチの通算34勝(2016年から)に対してポガチャルは通算5勝(2019年から)という「勝利経験の差」と、二人が直接対決したTTでのログリッチ:2勝VSポガチャル:1勝で、「ログリッチにアドバンテージあり」とするグラフを掲載していた。
しかしそのログリッチに対する1勝は、今年の6月28日に行われたスロベニアナショナル選手権でのもの。そのときは15.7kmの距離で、今回同様に登りでのバイク交換がある個人TTで、ポガチャルは9秒差でログリッチを下している。つまりプランシュが倍の距離だとして18秒差がつく可能性があるという計算も成り立った。
1989年のツール・ド・フランス最終日、シャンゼリゼにフィニッシュする24kmの個人TTで、グレッグ・レモンがマイヨジョーヌのローラン・フィニヨンとの50秒差を逆転し、8秒差で総合優勝を飾ったことはツール史上に残るドラマチックな逆転劇。それを越えるようなドラマが、まさか再現されることになるとは。
平坦区間で少なくなったログリッチのタイムマージンは、バイク交換を行った登り区間でも見る間に減っていった。勢いづくポガチャルに対し、失速するログリッチ。ヘルメットからおでこが出るほどずれて、力の入らないように見える美しくないフォームに。大量に滴る汗。そしてまさかの逆転の結末。筋書きのないドラマとはよく言ったもの。こんな逆転劇が最終日前日に待っているとは!
ポガチャルは最初の12kmで13秒を奪い、2分先にスタートしたミゲル・アンヘルロペスを抜き、それまでトップタイムのデュムランを抜く上りタイム16分10秒(平均スピード21.897km/h)で駆け上がった。これはプランシュの登り区間のコースレコードだ。
ログリッチはポガチャルに対し1分56秒失ってフィニッシュ。地面にうずくまった。ポガチャルの57秒のビハインドは、レースが終わってみれば59秒のアドバンテージにとって変わった。
驚きの声に包まれたラ・プランシュ・デ・ベルフィーユ山頂。勝者と敗者の残酷なコントラスト。詰めかけた観客たちも魂を抜かれたかのように見えた。駆けつけたスロベニア人ファンたちは同国人内で移った残酷なマイヨジョーヌ交代劇に、どう喜べばよいのか分からないといった困惑した様子だった。
衝撃のレース終了後から約2時間が経って、コースとなった道の中ほど、有名な建築物である「ロンシャンの礼拝堂」があるロンシャン村のプレスセンターに、まずリッチー・ポートが到着。喜びを語った。
ここまでツールでは過去10年の出場で2016年の総合5位が最高。エースとして臨んだ昨年までの2年連続落車骨折リタイアなど不運続きだったポート。プレスセンターは悲願のポディウムの座の確保を祝福する暖かな雰囲気に溢れた。
「スロベニアの2人は他の星にいたね。表彰台は僕にとって夢だった。ツールを地球の反対側の国のTVで観て育ち、ロビー・マキュアンやブラドレー・マクギー、カデル・エヴァンスの活躍を見てきたんだ。どんなレースを勝ってきたかなんて関係ない。選手(の価値)を測られるのはツールなんだ。僕は妻に、引退する時に欲しい写真はパリの表彰台がいいと言ったんだ。正直、僕にとって総合3位は優勝のようなもの」(ポート)。
そして今季限りで離れることになるチームを讃えた。「チームの助けなくしてこれはなし得なかった。なんという素晴らしいチームなんだろう」。ポートは来年は別チームに移籍し、アシストとして働くことを決めている。
20分ほど遅れて登場したポガチャルは、マイヨジョーヌに身を包み、お揃いのチームロゴが入った黄色いマスクを着ける。ニースではチームメイトのアレクサンダー・クリストフに手渡した黄色いマスクだが、それをすでに用意していたということは?
ポガチャルは言う。「僕自身はイエロージャージのことは考えていなかった。なぜならこれは世界最大のレース。でもチームは僕に最大の信頼をしてくれた。彼らはやれると信じていた。ツールへの道は、長い期間をかけて準備が進められた。よく計画されたもので、僕らは最高の仕事をしたと思う。それは本当に完璧だった。しかしレースではダヴィ・デラクルスが怪我で全期間通して苦しんだし、不運にもダヴィデ・フォルモロとファビオ・アルを失った。でも僕らは諦めなかった。いつもいい雰囲気で過ごせたし、僕らは最高のチームだったと思う」。
ログリッチにアルプスでのレース後に肩に手を回されたときにどう感じたか?と聞かれて応える。
「ロズ峠では僕はすでにパリで2位になるだろうことを考えていた。2位は硬い、と。だからそのあとで今日のことは信じられなかった」。
ツールが過去の8年で5回登ったプランシュで、毎度リーダージャージが入れ替わっているという事実がある。このステージがどうして重要だと知っていたのか?
「チームで行った試走でコースのことは知り尽くしていた。すべてのコーナーを把握して、穴がどこにあるかも、どこで加速すべきかも知っていた。熟知しておくことが必要な道だった。あとは麓から頂上まで全開で行った」。
パイパー氏の前日のコメントどおり、ポガチャルとUAEエミレーツはツールを睨んだ2度の試走で、繰り返しの実走シミュレーションを行っていたのだ。バイク交換のタイミングと連携も含めて。(動画で確認したが、まったくミスや無駄が無かった)。
「僕の夢はツール・ド・フランスに出ることだった。でも今、勝った。ただ信じられない」(ポガチャル)。
昨年、エガン・ベルナルが22歳の若さでコロンビア人初となるツール総合優勝を成し遂げた。その翌年の2020年、今度は21歳のスロベニア人が総合優勝しようとしている。ともに23歳以下の選手による「U23版ツール」と呼ばれるツール・ド・ラヴニールのチャンピオン経験者であり、ひいては「ラヴニール覇者が2年後にツール・ド・フランスを制する」というジンクスが誕生した。
「実は明日に乗る白いバイクが用意されていた。でも違うバイクが必要だ」と笑うポガチャル。コルナゴのバイクはツール初制覇。イエローに塗られたフレームはイタリアのカンビアーゴから急いで届けられるはずだ。コルナゴのSNSではすでに夜のうちにイエローのコルナゴV3-RSを手にしたエルネスト・コルナゴ氏の写真が投稿されている。それも用意されていたものなのだろうか?
そして両親のことにも触れられた。ブエルタに続く2度めのグランツールで、いつもステディ(安定している)であることを言う。驚くべきその回復力は遺伝のおかげで、「両親には感謝しなくては」と話す。スロベニアの首相とは電波状態が悪くて電話で話せなかったが、彼女(プロの自転車選手)とは2分間しゃべることが出来た、とも。そして「世界一の両親」と家族を讃える。
終始落ち着き払って、浮つくことなく堂々と話す風格ある21歳。明日シャンゼリゼに向かい、勝利すれば翌日は22歳の誕生日を迎えるというポガチャル。ツール後のレースは、世界選手権、アルデンヌクラシック、ロンド・ファン・フラーンデレン。知られていないが2018年に参加したシクロクロスのスロベニア選手権でも優勝しているポガチャルは、特殊な技量が必要な石畳クラシックにおいても期待ができるのかもしれない。
ポガチャルがプレスセンターを退場するのと入れ替わりに到着したログリッチ。通路で鉢合わせたふたりは再び肩を抱き合い、言葉を交わす。ログリッチの祝福の言葉をうなずいて聞くポガチャル。友人であり先輩、最大のライバルへの敬意ある表情で。
ログリッチの記者会見は、プレスのほうが緊張気味の雰囲気のなか進められた。
「失望している。泣くよ。もうすでに泣いたけど、何も変わらない」。さばけた顔で着座したログリッチは、そう言うと平時のようにインタビューに対応する。ベストな日でなかったことは確か。タデイは別世界だったね。彼が勝者にふさわしい。本心から祝うよ。
言えることは、今日僕は全力を尽くしたということだけ。リザルトには失望しているけど、2位であることは誇りに思う。なぜかはわからないけど力が出なかった。それだけのこと。必要とすればするほど力を失っていった。最後まで全力は尽くしたんだ」。
走行中に不格好にズレたヘルメットについても質問が飛ぶ。今までに使ったことのない新モデルのヘルメットをいきなり投入するのはどうなのか?ということに。
「確かにいいアイデアとは言えなかったかもしれないけど、機材のことはおいておこう。もっと出力を出せれば速く走れるんだから」とログリッチは苦笑い。そして今日の不調の原因を知りたいという質問に応じて続ける。
「バッドデーを迎えるとは思っていなかった。中間タイムを無線で聞くのは助けになるけど、ただタイムを失っているだけだった。タディが苦しむことがあることをただ願うだけだった。自分を信じて踏み続けたけど、遠く及ばなかった」。
ツールの序盤にもっと攻撃して十分なタイム差を稼いでおくべきだったのでは?
「分析することが必要だけど、今は何か問題をクリアにすることは難しい。でも3位じゃなく2位に踏みとどまったことは喜ぶべきことなんだ」。
ユンボ・ヴィスマにとって念願だった、オランダのチームにとって40年ぶりのツール・ド・フランスの勝利という期待にも応えられなかった。
「優勝という目的を果たせなかったことはチームの皆に申し訳なく思うよ。そしてスロベニアのファンの多大な応援にも応えられなかった。でも僕らは毎日ベストを尽くして闘ったんだ。3週間のパフォーマンスについて誇りに思う。サポートしてくれたすべての人に、ファンに感謝している」。
目を伏せがちであるものの、淡々とインタビューに応えた続けたログリッチ。失望感を味わうのはこれからなのだろう。これからのこと、目標について聞かれると、こう応えた。
「もっと良くしたい、速くなりたいというモチベーションはある。まだ改善の余地もある。でもその前に少し休んでから次に何をすべきかクリアにするよ」。
ツール・ド・フランス2020現地レポートby綾野 真
text&photo:Makoto AYANO in Vosoul FRANCE