《 木造仏像!!》
平等院鳳凰堂安置、定朝作・・阿弥陀如来坐像(国宝・檜材)
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ヒノキはスギよりも持ちの良い高級材、東北南部以南各地で植林されている。
中でも「木曽のヒノキ」は有名だ、「木曽の五木」の筆頭にあげられている。
木曽の五木とは、檜、サワラ、クロベ、ヒバ、コウヤマキの5種を指す。
昔、町並み保存のことで、馬籠宿を幾度となく訪れ、そこで檜の事を知った。
檜の樹皮は赤褐色、縦に剥がれ屋根等の「檜皮葺(ひわだぶき)」でしられる。
幹は赤褐色、縦に樹皮が薄く裂けて剥がれ落ち、スギより粗い。
葉は十字対生し側枝は互生して水平につき、鱗片状の葉に包まれ先は鈍頭。
2つ折りの葉と菱形の小さな葉が交互に並び葉裏にはY字形白色気孔線が見える。
雌雄同株。花は4月に開花し雄花は、3㎜位惰円形。 雌花は、4mm程度の球形。
果実は熟すと直径約1㎝、赤褐色になり果鱗が開いて種子を落とす。
種子は2~4個ずつ果鱗の間に入り光沢ある褐色で長さ約3㎜の卵状惰円形。
翼があり、中央にこぶ状の突起が1,2個ある。
和名は「火の木」に由来し、火を起こすためにこの木が使われたと云う。
材木は耐久性があり、建築材として親しまれ杉と並び多く植林されている。
古い仏像に多用された木材(1963年・小原二郎)とされていたヒノキ(檜)。
だが、近年の研究で仏像材の事がより鮮明に分析され判明してきた。
檜材が使われるようになったのは、奈良時代(8世紀)以降だった様だ。
飛鳥時代(7世紀)の仏像では、殆どがクスノキ材である。
これは、中国(隋)の仏像の多くが芳香ある白檀で作られていた事による。
当時、日本には白檀がなく芳香あるクスノキが使われたと推測される。
又、楠の木は成長が早く大木から材を得やすく柔らかい。加工もしやすい。
中宮寺(7世紀前半創建)の国宝「弥勒菩薩半跏思惟像」はクスノキ材使用。
楠の木の幹や葉には精油が含まれ、チップを水蒸気蒸留し樟脳油を得ていた。
樟脳油には約50~60%の樟脳と種々の精油を含む。純粋樟脳は白い結晶物になる。
「仏像の樹種から考える 古代一木彫像の謎」成城学園創立100周年記念シンポジウムにおいて、
古代一木彫の用材樹種についての最新の研究成果が発表された。
「木彫像の用材・樹種」という研究検証テーマは、驚愕であった。
奈良後期~平安前期・純粋一木彫の用材樹種は、殆どが「カヤ」材と判明。
従前、一木彫の多くは「ヒノキ」とされて来たので、驚愕の新事実だった。
その後も、研究が継続され「カヤ」材が用いられた事由等も判明。
用材観の宗教的意味、意義などにも議論が展開されている。
2006年に東京国立博物館で開催された、通称・一木彫展図録に掲載されている。
「仏像用材の材質と樹種」「木材の構造による樹種の識別」では、
木材の樹種判別の科学的調査や、一木彫像等の仏像樹種の科学的判定結果が纏められている。
木彫像の樹種や、「カヤなのかヒノキなのか?」等の分析方法も進歩してる。
我が国の古代木彫像の樹種は、どのように変遷してきたか。
日本の木彫仏の用材に使われている樹種は、飛鳥・白鳳は「
クスノキの時代」、
奈良後期・平安前期は「カヤの時代」・平安中期以降は「ヒノキの時代」と断定された。
これら全てがカヤ材で造られていたことが明らかになった。
以上は、共同研究の成果。
クスノキは、古代日本では魂ふりの力をもつとされ、神木、霊木と見做されていた。
クスノキを仏像の材とする考えは、中国からもたらされたのかもしれない。
が、異国の神仏像を我が国で造るには、それに相応しい霊的な樹木が求められた。
日本の神信仰と融合すると宗教的、精神的な意味、魂の力をもつ楠の木が選ばれた。
奈良時代末から平安前期の一木彫像の用材にカヤ材が用いられた理由は、
我が国における一木彫像の成立の要因は、鑑真の来朝が重要な契機となった。
唐招提寺の伝獅子吼・衆宝王菩薩像等が、我が国一木彫像の最初期の作例。
又、純粋一木彫像は木肌を生かした素木像、檀像彫刻の渡来の影響による。
檀像制作についてふれた経典「十一面神呪心経義疏」(天平15年書写)には、
仏像用材には「白檀を用いよ。白檀のない国では栢木を用いよ」と説かれている。
わが国で、この「栢木」にあたる材について、「カヤ」が充てられたとみられる。
鑑真及びその工人が、「栢木」材として日本の「カヤ」を選択したとみられる。
この事が我が国の一木彫用材として「カヤ材」が採用された思想的背景。
ヒノキではなくカヤが選択されたのは、鑑真の活動地域を加味する必要がある。
中国における鑑真の活動地域、揚子江以南地域にはカヤが多く分布している。
カヤをビャクダンの代用材とする考え方があったと推測できる。
平安後期に、カヤ材からヒノキ材に転換していく事由については、
康尚から定朝の辺り大きくヒノキに転換していくと考えられる。
この時代は、大量の仏像が造られた時代で相当量の用材確保が必要となる。
カヤは群生しない。が、ヒノキは大量に存在していた。
一定の質の材を、確保しなくてはならないことでカヤからヒノキへの転換。
更には、日本独自の霊木信仰、日本のカミとの融合もあったと考えられる。
而して木彫仏を彫るのに、技術と扱いやすさで最適な樹種が選択されたか。
と、それぞれの用途を教えしめされている。
仏像の主用材として使われたクスノキ、カヤ、ヒノキの特性や違いは、色々。
古代木彫像の用材選択の事由は、多種多様に考えられるが、中々断定はできない。
「中国渡来、伝来の視点」「信仰、霊性の視点」「用材の特性、適材の視点」と複雑。
奈良後期~平安前期・純粋一木彫の用材が、カヤ材であることが判明。
樹種選定では「中国渡来、伝来の視点」「信仰、霊性の視点」と視点が拡大。
仏像に木材が使われる。その木材自体に“香り”がある。
素人的には、新しい仏像から感受する精神性という香りも大切、と思う。